古典が嫌いな理由
僕は古典が嫌いです。
いや、学校の授業、学問が全般的に嫌いなのですが、どうしても嫌いだからといって放り投げることはできません。
「数学したって将来役に立たないじゃん!」という文句はみなさんも言ったことがあったり聞いたことがあると思います。「勉強する」という行為自体に意味があるとは思っているので、僕は将来役に立たないから勉強は不要だという考えには首を縦には振れません。
しかし・・・
そんな考えをも通り越して僕は考えすぎてしまったのです(???)
それは、古典という教科。
高校に入って初めて独立しやがったこの古典。すごく嫌いなのです。その理由を今から書いていきたいと思います。
【注意】
僕の古典の平均成績は10段階中4です。古典の単語や文法はほぼ理解していません。そんな💩が文句をダラダラ書きますのでご注意ください。
古典は歴史的なことを知ったりいろいろ役に立つ素晴らしい学問だと思っていますということだけ言っておけば誰にも怒られないと思うので言っておきます。
読者の皆さんの中にも、古典が嫌いだという方はいると思います。だって日本語なのに読めないからイライラするもんね。(あ、古典と言っても古文と漢文がありますけど、はじめは古文について話します。)
僕はそんな次元で嫌いなのではなく、もっと深く考えて嫌いなのです。
そもそも、文章の書き方正しいの?
はい、これです。昔の人を貶すわけではないです。が。
現代の日本は教育がしっかりしていて、日本人のほとんどが日本語の読み書きをすることができます。しかし、正しい文法で文章を書けるひとは少なくはないですか?そんなこともないか。。。
でも、昔の人、古文だったら鎌倉とか平安とかの人っていくら貴族だからって今の日本並みの教育を受けることができていたのでしょうか。
昔の人は文章を正しく書けなかった、とバカにしているわけじゃないのですが、国語の先生がとある作品を授業で扱った際に、「この作者アカンな~ホンマはここにこれ書かなアカンけど省略してあるわ~わかりにくいね~」的なことを言っていました。文章書くの下手ですねぇ~とも言っていました。
そこで確信したんです、僕の考えはそこまで間違いではなかったと。
何を言っているのか。ここで一つ例を上げてみます。
「ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw
二郎からのセイクで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw
や、漏れのモタクと化したことのNASA✋
そりでわ、無限に練りをしまつ
ぽやしみ〜 」
という文章を書いた女性がいたとします。この文章は大ヒットしました。そして後世に残されていくのです。
3020年、日本には古典という授業がありました。授業中の風景を覗いてみましょう。
先生「先生が今からこの文章を訳すぞ。」
『起きました。本当ですか?良いですね。
ラーメン二郎を食べてからお酒を飲んで良い気分になりませんか?それです。それすぎてソリになりました。
いや、私はオタクではありません。
それでは、無限に睡眠をとります。
おやすみなさい。』(引用元:
)
生徒「へ~!なるほどφ(..)メモメモ」
はい、どうですかこの授業。楽しそうですね^^;
もう自分でも何がいいたいかわからなくなってきましたが、僕たちが受けている古典の授業、鎌倉や平安のひとから見るとこんな感じなのかもしれません。適当な文章を本気で解析して後付の文法を作って本気で訳しているっていうように思うともう古典の勉強なんてできなくなってしまいました。もちろん古典をバカにしているわけではございません、マジで。
読みづらい文章になってしまいましたが、大体わかっていただけたでしょうか、僕の古典が嫌いな理由が。気に入ったらスター&シェアお願いしたしまつw
最後に
漢文頭痛くなるからやめろマジあと結局日本語読みせな理解できんし初見の漢字多すぎムリポ
ではまた✋